横浜モンテッソーリ幼稚園で行われる、恒例行事のひとつに「作品展」があります。
この作品展は毎年年度末の2~3月に行われるのですが、それにも理由があります。
まずは、画伯達による、素晴しい作品をご鑑賞ください。
早速、「うちの子、天才かしら」なんて声が聞こえてきそうですね!もちろんです。
みんな天才です。子ども達へ惜しみない拍手喝采をどうぞ、よろしくお願いします。
さて。心ゆくまで、子ども達の作品を賞賛したならば。いったん、心を鎮め、今度は子ども達が描く、線の形、長さ、強さに注目して、もう一度観察してみてください。
お気づきですね?線一本、素描ひとつ。3歳→4歳→5歳と年齢を重ねるごとに、子どもの発達段階に合わせて、線も形も成長しているんです!
子ども達の豊かな色彩にもご注目ください。
子ども達の絵を彩る豊かな色彩は実はすべて子ども達が自分で創りだした色です。赤・青・黄。この3色を混ぜ合わせ、生まれるハーモニーを子ども達は楽しみながら創っていきます。
パレットの上で「あお」と「きいろ」がであうと「みどり」が生まれる。やがて、みたこともない色が、自分の手で次々にうみだされていく。ひとたび、その感動を知ると、子ども達は、もう夢中です。
モンテッソーリは言いました。
「子ども達は手で自分を表現します。これはまだ意識していない、自分を表現しようという潜在している性向の現れ」だと。
子どもは強い印象を受けた環境やものごとについて、心のなかで抱いた概念や感情を線や色を用いて、精一杯、表現しようとします。 線や色は、子ども自身といえるでしょう。
たいせつなことは、子ども自身が「自分でやってみたい」と、自分で選び、手を動かしているかどうかです。自分で選んだのか。人から与えられて、手を動かしているだけか。それは子どもの手の動きをみればわかります。
「迷い箸」という言葉がありますよね。自分の意志で「おしごと」を選んでいない子どもの手の動きは、ちょうどこの「迷い箸」のようなもの。お箸がお皿の上をいったりきたり。ためらいがちに、ひっこめたり、宙を泳いだり。迷いがあって、散漫な動きです。
それはなぜでしょう。手は動いているけれど、心が動いていないからです。
「食べたい!」という意欲がなく、空っぽの心で手を動かしているから。
この状態で食事をしても、おそらく心の栄養にはならないでしょう。
「これ食べたい!」と同じように「これをやりたい!」という強い気持ちは生命から湧き上がる、衝動であり、強いエネルギーを伴うものです。
ただ、生命の強いエネルギーにつき動かされていながら、手がついていかないケースもあります。画用紙いっぱいに線を描きたくても、やはり、手や腕が十分に成長していないうちは難しいこともあるからです。線ひとつとりあげても、3歳、4歳、5歳とでは、ずいぶん違うことがおわかりになるでしょう。
線の振り切れ感や、筆圧の強さ、弱さをよく観察して、その子どもの手の大きさ、腕の長さにちょうどいい道具を揃えてあげる。
これはささやかなことのようで、とてもたいせつな「援助」のひとつです。さり気なく準備して環境を整える。そのことで開かれる子どもの好奇心の回路があります。
これは私たち大人のたいせつな役割だということを心にとめておいてくださいね。