子どもから湧き上がる、自発的なリズムを尊重する。
10月 31

子どもから湧き上がる、自発的なリズムを尊重する。

 「おしごとがすんだら、手を洗わなきゃ」

 ひとつのお仕事が済むと、こう言いながら廊下の流し場へ向かい、せっけんを使って手を洗う子どもがいました。その子なりの、大事なリズムなのです。一方で、おしごとをはじめる前に手を洗う子どももいます。

 

 この日、4歳のH君は赤いエプロンをして、ジャグを片手にテーブルに置かれた「たらい」の中へ水を注いでいました。慎重に、注意深く注ぎ終えると、指の隅々までせっけんを走らせ、たらいの中で丁寧に手を洗っていました。

 洗い終わると、たらいの水をテーブルの下のバケツに捨てました。ふたたびジャグから水をたらいに注ぎ、手を洗う。これを几帳面に繰り返すこと3回。

 

 「すんだ」という顔つきで赤いタオルをとり、ゆっくりと手を拭き終えると、エプロンを外し、作業終了です。せっけんで手を洗うことで、H君の内面がすっきりしたのかもしれません。その表情があまりにも清々しかったので、次に何をするのか、しばらく見守ることにしました。

 

 ほどなく、H君はカーペットを取り出すと、教室の左隅の床に敷きました。

こうして自分のスペースを確保すると、真逆の方向に位置する窓際の棚へとわき目もふらずに向かいました。手にしているのは最短の<赤い棒>です。

 

 おともだちの間を上手にすり抜けながら自分の陣地にもどったH君は、まずカーペットの左端下に最短の赤い棒を置きました。そして立ち上がると、また窓際へ歩いていき棒を取り、自分の場所へ戻りました。この棒は10本あります。 行ったり、来たりを黙って繰り返しています。

 この<赤い棒>の教具はもっとも短い棒が10cmで、もっとも長い棒が1mあります。子どもがこの長くてかさばる棒を運ぶには全身運動を要するほど長いのです。几帳面に運んでは、長さの順に隣り合わせに並べ、往復すること10回。その間、H君は誰にも話しかけることがありませんでした。

 すべての棒を運び終えると、カーペットの上には横向きのパイプオルガンのような、美しいグラデーションが現れました。短い棒から長い棒へ。H君はじっと黙ってその連なりを満足そうに、みつめています。

 

 ふいに、いちばん長い棒を両手で持ち上げると、今度は最長を始点に、長い棒から短い棒へ、左右対称に反転させる作業に取り掛かり始めました。

 一番短い棒が頂点に置かれ、一連の作業が終わると、次に短い棒を中心に配置し、長さの順にふたたび棒を並べ始めました。端を揃えるのではなく、最短の棒を始点に真ん中揃えで配列しています。どうやら赤い棒を繰り返し並べているうちに配列に潜む、ある規則性を発見したようでした。

 

 いちばん長い棒を頂点に扇の様な逆三角形が浮かび上がりました。その光景を目に焼き付けるようにまじまじと見つめると、またすぐに、反転を試みました。

 いちばん短い棒が頂点に置かれると、今度はカーペットの上に、高く聳え立つ塔が浮かび上がりました。赤い扇と赤い塔。

 配列の中から浮かび上がる、この赤いリズムに突き動かされるように、H君は黙々と繰り返し、繰り返し、規則正しく、何度も並べ返し続けました。

 粛粛と作業を繰り返すその姿は、まるで美しい儀式のようにも見えました。

 

 終わりの訪れは突然です。満足そうにすっと立ちあがると、いちばん長い棒を手に持ち、窓の方へ歩き出しました。元の場所へ片づける。その際も、決して端折ることはありません。ひとつひとつ几帳面に、正確に10往復です。

 子ども達の内側からあらわれる「規則性」の正確さには、いつも驚かされるばかりです。

 

 年齢や発達のタイミングにあわせ、子ども達はその時々で、夢中になって取り組むことのできる、何かしらの興味を示すものです。もちろん中には「はしり」と呼ばれる一過性の興味もあるのですが、H君の場合は本物です。

 彼の内側から湧き上がる、自発的なリズムは正真正銘、知性そのものでした。

 

 この日始終、静粛に包まれていたH君でしたが、その内面は炎のように赤く燃え上がっていたことでしょう。

 

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あああ
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