自分の体と心を自分でつくる。子ども達は「おしごと」を通じて、毎日見えざる一大事業を成し遂げています。子ども達がこのたいせつな「おしごと」に専念できるように、目配りをするのは私たち教師だけではありません。
幼稚園の中にある、いろいろな「もの」が、子ども達に呼びかけている。
そんなことを感じたことはありませんか。
「私を手にとって」「傷つけないように、たいせつにして」「私を元の場所に戻して」
ものたちは、時として、どんな教師よりも雄弁に子ども達の注意力をひきつけ、行動を促す刺激となることがあるのです。もちろん、実際に「もの」はしゃべりません。ですが、その美しさや輝きで、もの言わずとも子ども達を精神の高みへと導くことがあります。たとえば、幼稚園の机や椅子はすべて、子どもの体に合った大きさになっています。子どもが手を伸ばしたり、広げたりしたときに「ちょうどいい」サイズの棚や鏡台、手洗い場……。
身の丈に合ったちょうどいいサイズに設計されているのは、それが子ども達に身体的な心地よさをもたらすためだけではありません。「僕のために」「私のために」特別にしつらえられたという点で、子ども達の「尊厳」をも満たしているのです。つまり、これらは日常生活の中で子ども達の隠れた援助者なのです。
ものたちはもの言わず、人知れず、子ども達が「ひとりでできる」ように辛抱強く、いつも子ども達を見守っています。意外なようですが、トイレはその真実を知るための、最たる場所かもしれません。トイレトレーニングは誰にとっても避けては通れない、重要な通過儀礼。トイレは人としての品性やエチケットを育む「教育の現場」でもあります。
子どもが用を足すときにちょうどいいサイズに設計されたドアや便器はこの場所をいつもきれいに、衛生的に保つことがたいせつだと教えてくれています。
トイレをきれに整える。これに関しては、子ども達は私たち大人以上に敏感です。
今日はその大事な「現場」で、私が目撃した奇跡の瞬間をご紹介しましょう。
3歳のYちゃんが用を足し終わって、トイレからでてきました。
ドアを開けてよろよろとつたない足取りなのは、パンツが足首にひっかかったままだから。つい「可愛いお尻が冷えますよ」と声をかけようとしたその瞬間、
Yちゃんはおもむろにしゃがみこみました。一瞬にして私の視界からふっと消えてしまったYちゃんでしたが、目線を下にやると、なにやら熱心にごそごそ動いています。はてさて。一体、何をしていたと思いますか。
何と! 前の人が脱いだスリッパを几帳面にそろえ直していたのです。
入り口に並べられた3足のスリッパ。確かに、ちょっと曲がっているとはいえ、大人の目から見れば大した乱れではありません。でもYちゃんにとってそれは「パンツを穿くよりも大事」な一大事だったのです。
敏感なパパやママならおわかりですね? そうです。Yちゃんの内なる衝動はスリッパを正しい場所に正しく揃えることに突き動かされ「整える」という秩序感に燃え上っていたのです。
スリッパがきれいに揃うと、その輝かしい光景を満足そうに、じっと見つめるYちゃん。
そしてゆっくりと、「できた」と誇らしげにつぶやきながら立ち上がりました。
ほどなく思い出したようにパンツを自分でたくしあげ、何事もなかったかのように穿きました。その姿を見届けてはじめて、「よくできたわね。えらいわね」そう声をかけると、Yちゃんはようやく私に気づいてくれました。
もしもあなたが、こんなふうに使命感に燃える小さな陰徳者を目撃したならば。そのときは、どうか、そっと見守ってあげてくださいね。
「早くパンツ穿きなさい!」なんて野暮は、くれぐれも言いっこなしですよ。
人知れずスリッパの乱れを整え、静かにトイレを後にしたYちゃん。
それは、もの言わぬスリッパが小さな品格者を生んだ奇跡の瞬間でした。