僕は、生まれながらのモンテッソーリアン!?
12月 13

僕は、生まれながらのモンテッソーリアン!?

 8人兄弟の5番目として生まれた僕には2人の姉と、2人の兄がおり、幼いころから、お兄ちゃんとお姉ちゃんのありがたさを感じて育ちました。

 やがて妹が2人。弟が1人できると、今度は姉や兄から教わったことを自分が弟や妹に教えてあげる番でした。

 そうです。生まれたときから「縦割り教育」がはじまっていたのです!

 僕は、生まれながらのモンテッソーリアンだったのかもしれません。

 

 父は農業を営みながら、大工も兼業していました。家の中はいつも道具がいっぱいで、子ども達が怪我をしないように父は「子ども用」の道具を作ってくれました。僕はそれを使って「今日は何をつくろうかな」といつも考えては手を動かしている子どもでした。

 

 また当時は「男子厨房に入るべからず」という古いしきたりがまだ残っていましたが、母はなぜか、僕だけお勝手(台所)に入ることを許してくれた。それで幼いころから大根を切ったり、芋を洗ったり。楽しんでお手伝いをしていました。

 

 はじめてモンテッソーリ教育と出会ったのは20歳過ぎ。大人になってからでしたが、子ども時代に体験してきたことを記憶していたので、モンテッソーリ教育が本物の教育であることがすぐにわかりました。自分が子ども時代にしてきたことにこんなに深い意味があったのか!と心底驚いたくらいです。

 

 ふりかえれば、子どもの頃の僕が、いまの僕をつくっている。

 

 それが真実です。いまでも「今日は何をつくろうかな」と考えたり、子ども達が怪我をしないように木の金槌を作ったり、短い釘をアレンジしたり。手作りする時間がいちばん楽しい。園にあるトーマスのすべり台や子ども達が使う「おしごと」道具など横浜モンテッソーリ幼稚園内には僕の手作り作品が溢れています! 台所で母のお手伝いをしていたことは、子ども達の「おしごと」にも通じますね。

 

 マリア・モンテッソーリは一人っ子でした。ある時、障害児の子どもを見て

 「あの子を助けよう」と思って医者を目指しました。その後、数えきれないくらいたくさんの子ども達を観察することで「縦割り教育」の素晴しさを発見したわけですが、一方の僕は、8人兄弟。生まれた時から兄姉に助けられ、自然と弟や妹を助けようという心が育まれました。縦割り教育のありがたさがわかったのは、小学校に通い始めた後。いわゆる「横割り」の教室で勉強するようになってからです。子ども時代の記憶として、いまでも鮮やかに僕の中に残っている「縦割り」の恵みは僕の人生の全部かもしれない。そう思うほどです。

 

 翻って、我々が子ども達にどんな子ども時代を過ごさせてあげられるのか。

 これは本当に大事なことです。そのことを大人が意識するかしないかで、子どもの未来は全く違ってきます。

 

 ご存知のように、横浜モンテッソーリ幼稚園は「縦割り」のクラスです。

 年長さんが年少さんのエプロンの紐を結んであげたり、おしごとのやり方を教えてあげたり。待つことのたいせつさも子ども達は「縦割り」から学ぶのです。

 子ども達は互いに助け合いながら「思いやり」を自ら育んでいきます。その「思いやり」は人を思いやることのできる平和な精神につながります。また、待つこと=「after you!」=「お先にどうぞ」と譲り合う心は礼儀の基本です。

 

 「縦割り」が教えてくれること。

子ども達にとっては、そのすべてが一生の宝物になることでしょう。

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